なかはら歯科医院

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院長・スタッフ紹介

小・中学生時代

小学生の頃は、とにかくよく遊びました。

当時は現在の様にテレビゲームが一家に数台の時代ではありませんでしたので、遊ぶなら外と決まっていました。近所の駄菓子屋さんにゲーム機がわずかに置いてありましたが、なんせ資金(みかんの手伝いで稼いだ小遣い)が少ないのであっという間に使い果たしてしまいます。資金が底をついてしまえば後はお金のかからない遊びをするしかありませんでした。そんな時は仲の良い友達と、よく野球をしましたね。

野球をする場所は、学校の校庭か近所の田んぼ(稲刈り後)でした。ボールは軟球に似せた柔らかいボール、バットは切り出した竹、グローブは無し(素手)、ベースは足で地面に書く、人数も1チーム9人とは限らず適当、走るランナーに守備側がボールを当てればアウト、など特別ルールでやりました。竹バットは自分のオリジナル感を出すために色付きのビニールテープをぐるぐる巻きにしてカラフルに仕立て上げていました。「このバットがよく飛ぶよ!」と各自自慢していたことを覚えています。

とにかく、夢中で遊びましたね~。夕方暗くなってボールが見えなくなってくるとようやく試合終了です。ボールも貴重品です。1つ無くしてしまうとそれ以降遊べなくなってしまうので大事に扱いましたね。

その野球好きの流れで、中学校に入学した日から野球部に入り、いや、入学する前から部活に参加していたような……、3年生の中体連が終わるまで野球漬けの毎日でした。特別上手いほうでもなく、チームに貢献できたかどうかは「?」ですが、当時から体格だけは良くて力はあったので打撃では「当たれば飛ぶ」(笑)とよく言われていましたね(4番を任されていたと記憶していますが……)。病気しない体力はこの頃に培われたものと思っています。

一方で、みかん農家の手伝いも継続していました(強制ですが)。この頃になると力も付いてきていますので手伝う内容も力仕事に移行していました。まず、コンテナ一杯に収穫したみかんを通路に運び出します。方法は2つ。地面が平坦なところは手押し車に乗せて運び出しますが、斜面や段々になっているところはコンテナを直接抱え上げて歩いて運び出すしかありません。そうして通路に運び出したコンテナを、今度は軽トラックに積み込みます。一度に軽トラックで運べる量は約30箱。そして、今度は軽トラックから貯蔵庫にコンテナを降ろします。コンテナ1箱20~30キロはあったと思いますので、かなりのハードトレーニングに匹敵していたんですね。その成果が野球にも出ていたものと思われます。

この頃、小遣い欲しさとは別に手伝う楽しみがありました。それは、軽トラックの運転です(敷地内だし、時効も成立していることなので大目に見てください)。父親が運転の仕方を教えてくれました。クラッチのつなぎ方、ギアチェンジの仕方、ハンドルの切り方、産まれて始めて自分で動かす車の面白さを知ったのもこの時でした。山道なので当然坂道発進もしなければいけません。積荷満載での坂道発進はスリル満点でした。小遣い欲しさというより軽トラック運転したさに手伝いをしていたように思います。以来、私の車はマニュアル車オンリーです。

小・中とよく遊びましたが、遊びが過ぎてしまい先生によく怒られたこともいい思い出です。今と違い、当時、愛のムチは教育に無くてはならないものでした。先生に怒られて、ぶたれて自分のした悪行を反省したものです(出会った先生方のおかげで今の自分があると感謝しています)。当時を過ごした旧友とは今も仲良くさせてもらっています。同窓会では当時の悪行話で盛り上がることもしばしば。私の息子とキャッチボール出来るのも、そんな少・中学生時代の経験があるからこそなんですね。(ありがたい、ありがたい)。