大学時代~勤務医時代
高校生活の充実感の無さ、これは何故なんだろう?大学生活を充実させるにはどうすればよいのだろう?私は考えました。そして出した答えは、「スポーツ部に所属すること」。勉強以外で一生懸命打ち込める何かがないとダメだと思ったわけです。そうして選んだスポーツは「バレーボール」でした。高校生の時に体育の授業で経験して、面白そうだなと感じたのがきっかけです。
私が入部した当時、部員数は9人ほどだったと記憶しています。規模としては小さいほうでした。5・6年生が5人を占める部員構成だったので私が3年になると部員の数は4人まで減少しました。6人制の1チームが組めない状況です。
関東の医科・歯科・薬科大学が参加する関東医歯薬リーグという大会が秋と春、全国の歯科大学が参加するオールデンタルという大会が夏に行なわれ、我々も参加していたのですが、部員数が足りません!助っ人と呼ばれる臨時雇いの部員をかき集めてなんとか試合に参加していました。正式部員4人でも、ちゃんと欠かさず練習は積みました。キツイ夏合宿も良い思いです。しかし、当然ですが、即席チームなので試合にはほとんど勝てません……。私が現役部員の時には、専ら、試合に参加することに意義がある状態でした。
その後、新入部員も徐々に増え、チーム力も上がり強くなりました。平成19年のオールデンタルでは優勝という快挙を後輩が成し遂げてくれています。部員数は平成21年現在で50人を超えているそうです。試合こそ良い思い出はありませんが、日々重ねた努力は大学生活の充実感として記憶に残っています。バレーボールを続けて良かったという思い出しかありません。
肝心の勉学はというと、これまた高校時代の二の舞を踏まないぞという決心の元、落ちこぼれないように必死で頑張りました。おかげで成績は優良とまではいきませんがそこそこで卒業することが出来ました。平成7年5月に無事、国家試験合格の通知を受けて私の勤務医生活が始まります。
私の勤務した歯科医院はふじもと歯科診療室。東京都稲城市にある歯科医院なのですが、稲城市では最も有名な歯科医院です。
ここに私が勤務することになったきっかけは、バレーボール部の追い出しコンパ(追いコン)の際でした。私が卒業生として参加した追いコンにバレーボール部OBの藤本先生が出席されていました。卒業後、勤務医としてすぐに働きたいと考えていた私に、「ウチに来てみないか?」と声を掛けていただいたのです。願ってもないお誘いに「是非、お願いします!」と即座に答えたことを覚えています。
藤本先生には歯科医師としての生き方、考え方、ひいては人としての生き方を教えていただきました。今でも、たゆまぬ努力で前進し続けられる生き様を、私は人生の指標としています。現在の私の診療姿勢の根底にあるものは、ふじもと歯科診療室で培われたものです。そして遂に念願かない、平成11年3月1日、生まれ故郷の佐賀で、開業し、現在に到ります。
おわりに
私の素性を少しでも多く知っていただきたいとの想いから、自己紹介と称して長々と書いてしまいました。他愛も無い昔話にお付き合いいただきありがとうございました。ここまでお読みくださった方には感謝申し上げます。